お久しぶりです。ブログ更新に間が空きました。
昨日8日間のインド巡礼の旅から帰って参りました。
初めてのインドへの旅行で不安もありましたが、
お釈迦さま(仏教の祖)が、その教えを説かれた地を巡ってまいりました。
お陰様で無事過ごすことができ、有意義な旅をさせていただきました。
写真、歴史など、おって紹介させていただきたく思います。
いずれにしても自分と違った環境を体験し、そして違う時代に思いを馳せ、
あらためて自分の存在を確認、意識できる旅でした。
【 お釈迦さまが法華経(妙法蓮華経)を説かれた霊鷲山(りょうじゅせん)への橋 】
立春を過ぎ日の出も早くなり、少し朝夕の空気が変わってきたような感じがいたします。
とはいえ、今朝はだいぶ冷え込み、境内にも氷が張りました。
【フキノトウ・・・一気に春の味覚が】
賢い人は待つことを知る。 ・・・
愚か者はいそぎ、
朝日を眺めようとして、木によじ登る如きことをする。
【アメリカの思想家、詩人の言葉】
意外に、待つことって大変です。
ついつい、余計なことをしてしまって、言ってしまって、・・・
待っていれば、何もしないでいれば、難なく過ごせたことも、逆に自分から大変なことにしてしまったり・・・
木によじ登って ・・・ 登った木が折れてしまうことも。
”力” と ”方向” と ”タイミング”、 ・・・・ ”力”とはエネルギー(努力)であり、それに方向とタイミングが整うこと。
よく言われますが、人生の歩みにおいてとても大切なことと思います。
こう考えると、私たちは変化の中にあって、互いの関係のうえに存在し、
"生かされている"存在であると気がつきます。
一方的にならず、時には待つことジッとすること、また時には、自分から行動を起すこと、・・・
取り巻く環境にあって、その変化を敏感に感じ、互いを尊重し、
”力” と ”方向” と ”タイミング”、 を図ることが大切でありますね。
年が明け一か月が過ぎました。2月は28日まで、春はそこまでという感じです。
境内にはフキノトウが芽を出してきました。
高いところからの眺めは、広く遠くまで見渡すことができます。自然の風景、都市の夜景、 ・・・
遊園地などにある迷路、・・・ その中に入って歩き回っていると自分がどこにいるのかわからなくなってきます。
途中、高台にある休憩場所にのぼって眺めてみると、「ゴールはあっちの方だ!!・・・」と確認できます。
視野は高くから、姿勢は低く。 ・・・
そして、心は穏やかに、行動は素早く。
このリズムがいいですね。
反対に、
視野は低く、姿勢は高くから。・・・
そして、心は波打ち、行動は遅れ!!
このリズムは良くないですね。
今日は畑に玉ねぎの苗を植えました。
本来は初冬の11月ごろ植えるのが時期なのですが、なかなか植えることができずに年を越えてしまいました。
玉ねぎの苗(約500本)はご近所のお檀家さんにいただきました。いつも、ありがとうございます。
今日は、節分ですね。
【境内のしだれ梅の蕾も膨らんでまいりました】→
近所に住んでいらっしゃる伯父さんにトラクターで耕していただいいて、
タマネギの畝は、ご近所の方に教えて頂きながら作りました。
植えるとき、土の匂いとともに、
苗の根のあたりからタマネギの匂いが漂いました。 麦わら帽子の影は私です。
お陰様で日がかげる前に植え終えることが出来ました。ありがとうございました。
ところでこの辺りでは、
タマネギは初冬11月ごろ植えて、梅雨明けごろに収穫をします。
冬の寒い間はほとんど成長せずにジッとしていて、これから暖かくなるにつれ成長し実ります。
なかなか時間がかかります。・・・ タマネギひとつ、食べるのはアッという間ですが。
20日に山梨県の総本山身延山久遠寺に参拝してまいりました。
毎年1月20日に富士宮地区の近隣の寺院の檀家様・信徒様と一緒に、参拝しております。 天気も良く暖かな一日でした。今年は約250名程での参拝となりました。
暖かな日でしたが、さすが身延山!私どもの住む富士宮とは空気の雰囲気が違い、肌、心に染み込むようでした。
深呼吸をすると体の中の空気が入れ替わるような感じがいたしました。 山内境内を流れる沢の音とともに霊気を感じ、良い参拝となりました。大本堂での法要は、キリッと身が引き締まりました。
【大本堂にて】
三門より→ ー 深 呼 吸 - 深呼吸してください!・・・と言われると、まずどうしますか?
息を吐きますか、吸いますか? 『呼吸』・・・・「呼気」と「吸気」
「呼気」は、吐く息! 「吸気」は、吸う息!・・・・順番は・・・・・?
『 呼 ・ 吸 』は、吐いてから吸う!!! これが順番のようです。 カラにするのが先で、・・・
そうです! 空っぽになるとわざわざ吸わなくても吸っちゃいます!! 自然に入ってきます。
日頃私たちは入れることばっかり、吸うことばっかりに目が向きがちですが、 実は吐いてみると、出してみると自然に入ってくるのが、自然の仕組み,摂理のようです。無理がないようです。
←【奥ノ院より富士山の山頂が見えました】
昨年暮れからの干し芋づくり・・・最終のおイモが干しあがりました。
おいしく出来上がりました。 → おイモを干しているあいだ、
山の鳥がやってきて、よく突っついており、
おイモが干し始めより少し減ってました!!
山の巣にお土産に持って帰っていたようです。
← おイモの収穫後は、鏡開き(割り)したお餅を干してました。
【 木瓜の花が咲きました。 - 昨年の暮れにつぼみをつけて 】
………
「誰かのことを批判したり、自分のことを批判したり!」 、人や自分自身をコケおろしたり! ・・・
言ったり、言われたり。
お釈迦様は、 「 他人を批判して、過ごす一日は苦痛である。
自分を批判して、過ごす一日も苦痛である。」 とおっしゃっております。
思うに、「自分を批判して、過ごす一日はもっとも苦痛である。」という感じが私にはいたします。
なぜなら、私たちにとって、自分と一番長く一緒にいるのは自分自身だから ・・・ と思います。
『人類史上初の有人宇宙飛行をしたガガーリン大佐(当時:ソ連 西暦1961年)は、
その最終選考の際笑顔が素敵だから!・・・ という理由で選ばれた。』
という話があります。(当然その資質があっての上ですが。・・・ 諸説、もろもろの話があるようです。)
笑顔が素敵! それには、・・・・ 自分をありのままに認め、許し、頼れる。 ・・・ そんな自分との付き合い方が大切であると。
お釈迦さまは教え下さっているのではないかと。
お正月に供えた門松やしめ縄などのお正月飾りは、どうしていますか?
どんど焼きとはお正月のお飾りや門松、それに書き初めなどを火にくべてお焚き上げする伝統行事です。
お正月に天から下りてきた歳神様が、どんど焼きの煙に乗って天に帰るとされ、それをお見送りするために行われると言われています。
どんど焼きという名前については諸説あるようですが「尊(とうと)や尊(とうと)」と囃しながら櫓で火を燃やしたのが、
訛って「どんど」に変わったという説や、どんどんと燃える様子から名付けられた説などがあります。
「どんど焼きは、歳神様が天に帰っていくための火祭り行事ということ。」です。
小正月の行事のため1月15日に行うところが殆どですが、14日や16日に行うという地域もあるようです。
【どんど焼きのお餅をさす3本枝の木
ー せっかくご近所の方が山からとってきて下さったのですが、今年は使えませんでした。・・・】⇒
私どものお寺のある富士宮のあたりでは地域ごとに行われ昔から14日が多かったですが、最近ではその近辺の土曜、日曜日といったところが増えてます。
今年は昨日、地域の「どんど焼き」(お寺のあるこの地域では隣保班ごとに)が行われました。
残念でしたが、今年は参加できませんでした。
『どんど焼きの火に当たると風邪をひかない。お餅を焼いて食べると健康増進に。』 など言われ、伝統行事としてこの地域では毎年行われております。
自然の炎の温かみは、エアコンやファンヒーターの暖かさとはまた一味違いますね。(日常生活はとても便利ですが。)
焚火の火にあたっていると、どうしてもあたっている側ばかりが熱くなり、背中が寒くなります。
表面!裏面! ・・・ と向きを変えながら温めないと!!!
出来れば、・・・まんべんなく温まりたいものです!
そのためには、時に向きを変えることが必要なのかもしれません。
人生の影の大半は、
自分が光をさえぎっていることに原因がある。
(アメリカ思想家の言葉)
【境内の蝋梅が、かわいい黄色い花をつけました。】
今日は七草・・・
「スズナ・スズシロ・セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ」、子どものころ覚えた記憶があります。
春の七草。七草粥たべましたか?体にやさしいですね。
スズナはカブ、スズシロはダイコン、ゴギョウはハハコグサ、ハコベラはハコベのこと。
この七草をお粥にして1月7日に食べるこの習慣は、江戸時代に広まったそうです。
年頭にあたって豊年を祈願し、「今年もみなが元気で暮らせますように。」と願いをこめた古くから習慣です。
春の七草を食べ体調を整えて、
お正月から日常の生活への”節”、けじめ、としていたようです。
松竹梅、の竹・・・タケも節があるから風が吹いても簡単に折れないわけです。
強い風には、 ”節ナシ” だったら耐えられないでしょうね!!
今朝、本堂前の門松も下げてくださいました。
平成27年、
明けましておめでとうございます。
皆様のご健勝ご多幸をお祈り申し上げます。
【門松 ・・・ お寺の役員さんに作って頂いた門松です。
毎年手作りの門松で新年を迎えております。】
竹の切り出しから、すべて手作りです。・・・ 今年もとても立派な門松をあげていただきました。
ありがとうございます。
【正月2日ー本日朝の富士山 ・・・ 空に流れる雲との調和が綺麗でした】
時間と空間、 そして物質。
わたしたちの生活は、「空間」のなかに「時間」の流れがあり、そして「物質」(私たち人間を含めた)が存在します。これが「縁」ではないか、と思います 。
この「空間」からすべての「物質」がなくなってしまったら、「空間」と「時間」だけが残ると思われますが、物理学の理論からすると「空間」と「時間」も無くなってしまうそうです。
どうやら、すべては互いに影響し合って存在し得ている!・・・ ようです。
新年を迎えるにあたり神仏にお餅(鏡餅)をお供えし、新しい年を迎える習慣があります。
鏡(かがみ)、「か我み」、我が抜けるとかみ(神)。「我」が抜けると「か・み」、「神」の域に達する?!
この前「我執」という話をいたしましたが、神社などにお参りすると鏡が祀られております。なぜ、鏡なのでしょうか?
ネットで調べてみると、
鏡の起源は人類と同じほど古く、最古のそれは水鏡(水面)にまで遡ると。鏡に映る姿が自己であることを知るのは、自己認識の第一歩であるとされる。鏡によって、初めて人は自分自身を客観的に見る手段を手にした。
鏡に映った自分を自分と認識できる能力を「自己鏡映像認知能力」と呼び、自己鏡映像認知能力の有無は動物の知能を測るための目安になると。
チンパンジーなどにおいては、鏡に映る姿を自分自身として認識し、毛繕いのときに役立てるという。チンパンジーのように鏡を利用するまで至らないが、自己鏡映像認知能力がある動物として類人猿のほか、イルカ、ゾウ、ブタ等が挙げられる。
天孫請降臨では天照大神は「此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし」(この鏡を私だと思って大切にしなさい)との神勅を出していることから、古代から日本人は鏡を神聖なものと扱っていたと思われる。
日本においては、鏡の持つ神秘性を餅や酒などの供物にも込めてきた経緯があり、現代でも鏡餅や鏡開などの習慣がある。
・・・というような内容がありました。
(参照:ウィキペディアより)
人相がよくなるコツは、人の良いところを探すこと。と聞いたことがあります。逆に、人の嫌な一面ばかりに目をやっていると、次第に人相が悪くなってくる。と聞いたことがあります。
今年の修業は、自分の身の回りの縁ある方々、出来事の良いところ、そこに意識を向ける姿勢。
それはまさに自らの鏡である。と心して生活して行きたい思います。
【裏山からの小さな来客・・・沢がに】・・・今日も凍りました!⇒
元朝の ダイヤモンド富士 幸いのる
上 枝
当山は総本山身延山久遠寺第13世宝聚院日傳上人の高弟「林正院日躰上人」開山のお寺であります。師匠日傳上人の教えを受け、広く衆生救済のため法華修行の道場を開くべく身延をたち諸国行脚(あんぎゃ)しました。
富士宮市にあるお寺・日蓮宗の林正山 妙善寺です。 総本山身延山久遠寺第13世宝聚院日傳上人の高弟「林正院日躰上人」開山の妙善寺では、永代供養やお墓のご相談や、お寺での葬儀・葬式のご相談を承っております。 お墓をお探しの方もぜひご相談ください。 様々な年中行事を行っておりますので、たくさんの方のご来寺をお待ちしております。