平成27年、
明けましておめでとうございます。
皆様のご健勝ご多幸をお祈り申し上げます。
【門松 ・・・ お寺の役員さんに作って頂いた門松です。
毎年手作りの門松で新年を迎えております。】
竹の切り出しから、すべて手作りです。・・・ 今年もとても立派な門松をあげていただきました。
ありがとうございます。
【正月2日ー本日朝の富士山 ・・・ 空に流れる雲との調和が綺麗でした】
時間と空間、 そして物質。
わたしたちの生活は、「空間」のなかに「時間」の流れがあり、そして「物質」(私たち人間を含めた)が存在します。これが「縁」ではないか、と思います 。
この「空間」からすべての「物質」がなくなってしまったら、「空間」と「時間」だけが残ると思われますが、物理学の理論からすると「空間」と「時間」も無くなってしまうそうです。
どうやら、すべては互いに影響し合って存在し得ている!・・・ ようです。
新年を迎えるにあたり神仏にお餅(鏡餅)をお供えし、新しい年を迎える習慣があります。
鏡(かがみ)、「か我み」、我が抜けるとかみ(神)。「我」が抜けると「か・み」、「神」の域に達する?!
この前「我執」という話をいたしましたが、神社などにお参りすると鏡が祀られております。なぜ、鏡なのでしょうか?
ネットで調べてみると、
鏡の起源は人類と同じほど古く、最古のそれは水鏡(水面)にまで遡ると。鏡に映る姿が自己であることを知るのは、自己認識の第一歩であるとされる。鏡によって、初めて人は自分自身を客観的に見る手段を手にした。
鏡に映った自分を自分と認識できる能力を「自己鏡映像認知能力」と呼び、自己鏡映像認知能力の有無は動物の知能を測るための目安になると。
チンパンジーなどにおいては、鏡に映る姿を自分自身として認識し、毛繕いのときに役立てるという。チンパンジーのように鏡を利用するまで至らないが、自己鏡映像認知能力がある動物として類人猿のほか、イルカ、ゾウ、ブタ等が挙げられる。
天孫請降臨では天照大神は「此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし」(この鏡を私だと思って大切にしなさい)との神勅を出していることから、古代から日本人は鏡を神聖なものと扱っていたと思われる。
日本においては、鏡の持つ神秘性を餅や酒などの供物にも込めてきた経緯があり、現代でも鏡餅や鏡開などの習慣がある。
・・・というような内容がありました。
(参照:ウィキペディアより)
人相がよくなるコツは、人の良いところを探すこと。と聞いたことがあります。逆に、人の嫌な一面ばかりに目をやっていると、次第に人相が悪くなってくる。と聞いたことがあります。
今年の修業は、自分の身の回りの縁ある方々、出来事の良いところ、そこに意識を向ける姿勢。
それはまさに自らの鏡である。と心して生活して行きたい思います。
【裏山からの小さな来客・・・沢がに】・・・今日も凍りました!⇒
元朝の ダイヤモンド富士 幸いのる
上 枝